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タトゥー業界に影響を与えた100人 - No.5

リチャード・ステル(Richard Stel)

リチャード・ステル(Richard Stell) リチャード・ステル

現在50歳のリチャード・ステル(Richard Stell)。
リチャードがタトゥーを始めたのは1970年代後半で、タトゥースタジオで本格的に彫り始めたのは1980年代前半だったそうです。
その頃は『アメリカントラディショナル』と呼ばれるジャンルは存在しなかったそうです。そうですね。昔のタトゥーと言えばセーラー達がこぞって彫るセーラー・ジェリーに代表されるようなタトゥーフラッシュから選んで彫るスタイルが一般的でした。 他のスタイルを知らなければ、選ぶ事も出来ません。

タトゥーと言うものが一生の仕事として 食っていける物になるのかどうかさえ分からず、 リチャードは何度も挫折を味ったそうです。

その後、今で言う『ブラックアンドグレースタイル』が流行りだします。このスタイルも当時はブラックアンドグレーとは呼ばず『ジェイルハウススタイル』と呼ばれていたそうです。

リチャード・ステルのタトゥー1

罪を犯して刑務所に入った人達が、物資など限りある刑務所の中でギターの弦など様々な物を代用して作ったオリジナルタトゥーマシンを使い、黒一色で彫りあげられたタトゥーが刑期を終了して戻ってきた時に周りの人達の目にはとてもクールなタトゥーだと映ったのでしょう。
カラーを一切使わないそのスタイルは一気に広まりを見せたそうです。

月日は流れ、新しい文化やスタイルが混在し始めリチャードも色々なスタイルを試したそうです。試して初めて気付く事もあります。
『人生の全てに対してと言うわけではないが、ことタトゥーに関してはルールに従うのが好きなんだ』
色々なスタイルを取り入れて試すけれども、やはり自分が一番初めにタトゥーを知ったそのスタイルに戻るのだそうです。

リチャード・ステルのタトゥー2

アメリカントラディショナルのスタイルを過去の偉人から学び、 未来の彫師へ伝えていく。 そこに長い歴史ある文化が生まれます。
リチャードの文化はオリバー・ペックへと受け継がれています。

多くの彫師達がリタイアを考える年齢に差し掛かり、リチャードはオクラホマ州タルサに新しいお店をオープンさせます。
オクラホマ州と言えば2006年までタトゥーが違法だった洲です。
そんな未知の地域にタトゥースタジオを開くのは大いなる挑戦でもあります。『上手くいくんじゃないかな!もしくは人生の最大の汚点になるかも!!!』なんてジョーク交じりにリチャードは言います。

最近心臓発作で倒れたリチャード・ステル。
高額な医療費を補てんする為にScott Sylviaなど沢山の著名なタトゥーアーティストが一堂に会し、タトゥーマラソンと言うイベントが開催され、その日の売り上げは全てリチャード・ステルへと渡されたそうです。
リチャードのタトゥーに対する姿勢が多くの若いタトゥーアーティスト達を惹き付け、尊敬の念を込めてタトゥーレジェンドと呼ばれる由縁でもあります。

タトゥー業界の不思議と言うか、良い時も悪い時も共に助け合う精神はとても深い結びつきなんですね。

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