1926年に生まれ、幼くしてお父さんが亡くなり、お母さんの再婚相手とそりが合わず、まずお兄さんが家を出ます。
1941年、ボブ・ショウが15歳の時にお兄さんと一緒に暮らすために
アメリカのミズーリ州セントルイスに引っ越します。
16歳になっていなかったボブは仕事をなかなか見つけられず、やっと見つけて初めて働いたのは皿洗いだったそうです。
朝の7時から働いて、終わるのは夜の8時や9時。
ですが、足元を見られたのか給料は1週間でたったの15ドルと言う始末。
ブロードウェイのバート・グリムのタトゥースタジオから目と鼻の先の場所に勤務先があったので、度々通うようになり、夜遅くまでスタジオにいて、皿洗いの仕事に行くために朝が起きれなくなり、首になります。
写真の会社も経営していたバート・グリムは首になったボブ・ショウにバートの奥さんの元でパートタイマーとして働く機会を提供します。
ボブはその時に『タトゥーを教えてほしい』とバートに懇願し、
OKをもらえたのだそうです。
16歳のときにはバート・グリムに彫ってもらったフルスリーブのタトゥーがあったのだそうです。
ボブ・ショウは言います、「タトゥーを勉強したければ、沢山タトゥーに触れる機会を持たないとだめなんだ。もしくはタトゥーに関するアイデアをくれる誰かが側にいないとだめなんだ。
よくタトゥーアーティスト達が『自分は師弟関係などは持たず、タトゥーを誰からも教わらず、技術を積み上げて来たんだ』なんて言ったりしているけれど、そんな事は絶対ない。
彼らは自分では気付いていないだけで、色々な人のタトゥーに触れ、色々な方法でアイデアをもらっているはずなんだ。
色々な人の助けを得ているのに、その事を認めようとしない。」
深い言葉です。
1943年から1946年まで兵士として従軍し、兵役が終了した後はテキサス州のサン・アントニオやミシシッピ州のビロクシなど様々な場所で働いた後、1964年、ボブが38歳の時に、カリフォルニア州のロングビーチにあるバート・グリムの有名なお店『Nu-Pike』で働き始め、バートからお店を譲り受けます。
その後もサンディエゴやオレゴン州ポートランドにあったバート・グリムのお店を譲り受け、新しいオーナーとして存続させました。
1993年3月、66歳で亡くなるまでナショナルタトゥー協会の会長として、タトゥー業界の発展にかかわった人物です。
現在は息子さんのBobby Shaw(ボビー・ショウ)さんがテキサス州のアディソンで『Bob Shaw's Tattoo Studio』をやっていて、Larry Shawさんはテキサス州ヒューストンで『Shaw's Tattoo Studio』をやっています。
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