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タトゥー業界に影響を与えた100人 - No.22

レス・スクセ(Les Skuse)

レス・スクセ(Les Skuse) レス・スクセ

Les Skuse(レス・スクセ)は1912年にイギリスのブリストルに生まれました。

その頃のブリストルの他トゥースタジオとしては、Joseph Hartley(ジョセフ・ハートレー)と言うタトゥーアーティストのお店だけがあったのだったのだそうです。

1928年のレスが16歳の頃からレスはジョセフのお店で働き始めます。
そこでは日本の手彫りや色々なタトゥー技術をジョセフから学び、ジョセフがレスを育てたといっても過言ではないのだそうです。

その後、第二次世界大戦が始まるまでそこで働き、軍に召集されてからの約5年間は軍隊にいる他の兵士仲間などにタトゥーを彫っていたのだそうです。

ブリストルに戻ったレスはその後に自分のタトゥースタジオをオープンさせ、ブリストル一番の彫師として、イギリスだけでなく、アメリカにもその名を知れ渡らせました。

Les Skuse(レス・スクセ)のタトゥー1

1955年にはイギリスで一番のタトゥーアーティストとして選ばれ、海外のタトゥーアーティスト達と交流を持ち、イギリスで一般的だったシングルニードルを使ったタトゥー技術を太いラインではっきり見えて残りも良いアメリカのタトゥー技術を取り入れながら発展させていきました。
Al Schiefley(アル・シーフレー) がブリストルにいる間には、彼にタトゥーを彫ったり、それぞれのタトゥースタイルを取り入れていったようです。

タトゥーサプライヤーも経営しながら3軒ほどスタジオを増やし、ブリストルタトゥークラブと言う有名なタトゥークラブのオーナーとしても活躍しました。
このブリストルタトゥークラブのメンバーは、クラブのマークである黒い蝙蝠のタトゥーを体のどこかに入れていたのだそうです。

Les Skuse(レス・スクセ)のタトゥー2

1973年にブリストルで亡くなりました。

レスが亡くなった後、息子たちがスタジオを引き継ぎ、タトゥー一家として現在もタトゥースタジオとブリストルタトゥークラブを継続させています。
一家の中には、イギリスで一番タトゥーが入った女性としてギネスブックにも載った『Rusty Skuse(ラスティ・スクセ)』さんも息子の奥さんとして名を連ねています。

『自分は常に習う精神を忘れず、知っているとは考えずに、自分の仕事の作品や機材を向上させる方法を常に模索してきた。沢山のタトゥーアーティスト達に出会って、意見を交換することで、プロとしてお互いをもっと良くする事が出来ると信じている』 と語っています。

どんなに有名になっても、より良くする事を常に考え続けると言う事は絶対に忘れてはいけませんね。

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