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タトゥー業界に影響を与えた100人 - No.23

ミルトン・ゼイス(Milton Zeis)

ミルトン・ゼイス(Milton Zeis) ミルトン・ゼイス

Milton Zeis(ミルトン・ゼイス)は1901年12月10日にミシシッピ川の畔の小さな町『ロックアイランド』で生まれました。

ゼイスが9歳の時にお父さんに連れられて、ミシシッピ川に浮かぶボートの上で行われたショーを見に行って、初めてタトゥーを見たのだそうです。

10代の頃のゼイスには小さな町の刺激は少なすぎて、数々の街を旅行してまわったのだそうです。

タトゥーアーティストとして生活する前にはシカゴの芸術学校へ通い、その後商業的な芸術家として生計を立てていました。
ゼイスの最初のスタジオは商業芸術をメインにしたものだったそうです。

ミルトン・ゼイス(Milton Zeis)のタトゥー1

1910年から1930年代にかけて、タトゥービジネスを色々な角度から勉強し、ロックアイランドから少し北に行ったロックフォールドと言う街で、メールカタログによるタトゥーサプライとタトゥースタジオのビジネスを成功させます。
自宅の地下を使って、半分はタトゥーサプライ、残り半分はタトゥースタジオとして、約20年もの間タトゥーフラッシュやインク、マシンなどを販売していたそうです。

ゼイスの前の時代は白黒のタトゥーフラッシュが多かったそうですが、カラーのフラッシュを販売し始めたのも、ゼイスが早かったと言われています。
そして、商業的なスキルを持つタトゥーアーティストとして、それまでの見ていてあまり面白みのないカタログをカラーで見やすいカタログへと変化させ、才能をいかんなく発揮させます。

ミルトン・ゼイス(Milton Zeis)のタトゥー2

タトゥーサプライのビジネスだけでなく、タトゥー業界の発展にも力を注いだゼイスは、『The Zeis School of Tattooing』と言うスクールでゼイスのタトゥー技術を余すことなく教えたり、レス・スクセがイギリスで催したタトゥーコンベンションにもアル・シーフレーなどと共に参加します。

サーカスやカーニバルとも積極的に交流をし、『ミルティおじさん』と言う架空のピエロのキャラクターを作りだして、演じたりしていました。1972年の71歳の時、そのピエロの役作りをしていた時に、突然の心臓発作により、亡くなりました。

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